母と子とオキシトシン…と私:愛情ホルモンは父親を締め出すか

母と子とオキシトシン…と私:愛情ホルモンは父親を締め出すか

2020年の暮れ、生後半年ほどの子どもを育てながら、私は子育てをめぐって妻とときどき言い争いになっていました。子育てには何よりも優先して加わってきたつもりだったので、理由がわかりませんでした。調べるうちに私が行き着いたのが、オキシトシンというホルモンです。

オキシトシンは、100年以上前に子宮を収縮させる物質として見つかりました。それがいつのまにか、「愛情ホルモン」「信頼ホルモン」と呼ばれるようになっていました。出産と授乳のときに大量に出るオキシトシンが、母親の愛情を強め、母と子を固く結びつける。当時の私は、読んだ説明からそう理解し、父親は母親にかなわないのだと思い込みました。

オキシトシンは本当に、母と子だけを結び、父親を締め出すホルモンなのでしょうか。研究の歩みをたどると、「愛情ホルモン」という呼び名は、研究が示した以上のことを語っていました。

オキシトシンと父親の要点

  • 子宮のホルモンとして:1906年に、下垂体後葉の抽出物が子宮を収縮させることが報告された。1953年に9個のアミノ酸からなる構造が明らかにされ、続いて合成された。陣痛を起こしたり強めたりする薬として使われている
  • 動物で見えた行動との関係:脳に投与すると、ラットやヒツジでは子を世話する行動が、プレーリーハタネズミではつがいの相手を好む行動が引き出された。ただし2023年には、受容体をもたないハタネズミもつがいをつくり、子を育てると報告された
  • 「信頼ホルモン」の見直し:2005年の実験では、鼻から吸入した男性の群で、見知らぬ相手に預ける金額が増えた。しかし2016年には、鼻から吸入する研究の検出力は平均16%と見積もられた。2020年の321人の追試でも、2026年に2つの追試を合わせた532人の解析でも、信頼を高める効果は見られなかった
  • 守るための攻撃:授乳中のラットでは、侵入者への攻撃に脳内のオキシトシンが関わる。人では、オキシトシンを吸入した男性で、自分の集団への信頼と、身を守るための攻撃が強まったという実験があるが、慎重に読む必要がある
  • 父親のオキシトシン:血液中の濃度は母親と父親で差がなく、子と体を使って遊ぶ父親ほど高かった。いずれも相関を見た研究で、父親の愛情が母親と同じになることを示したものではない
  • 産後の夫婦:日本の追跡調査で「配偶者といると本当に愛していると実感する」にあてはまる妻は、妊娠期の71.3%から0歳児期の41.6%に減った。夫は73.6%から61.8%だった
  • 私の結論:父親が母と子の輪に加わる道は、妻との結びつきを取り戻すことだと私は考えた。この考えを直接確かめた研究はないが、夫婦の触れ合いや夫の関わり方を調べた研究とは矛盾しない

出産を早める物質として見つかった

1906年、生理学者のDaleは、下垂体後葉の抽出物に子宮を収縮させる作用があることを報告しました(Dale 1906、Leeら 2009)。オキシトシンという名前は、ギリシャ語の「速い出産」に由来します(Leeら 2009)。1910年には、同じ抽出物に乳汁を押し出す作用があることも報告されました(MagonとKalra 2011)。

物質そのものの正体がわかったのは、それから半世紀近くあとです。生化学者のdu Vigneaudは1953年、オキシトシンが9個のアミノ酸からなることを明らかにし、続いて人工的に合成しました(Leeら 2009)。合成したものは、陣痛を起こす作用でも乳汁を押し出す作用でも、天然のものと区別できませんでした(MagonとKalra 2011)。1955年のノーベル化学賞は、硫黄を含む重要な化合物の研究、とりわけポリペプチドホルモンの初めての合成に対して、du Vigneaudに贈られています(Nobel Prize Outreach)。

合成されたオキシトシンは、陣痛を起こしたり強めたりする薬として、また出産後の出血を防ぐ子宮収縮薬として使われるようになりました(MagonとKalra 2011)。オキシトシンをつくるのは、主に視床下部の室傍核と視索上核にある大型の神経細胞です。その多くは下垂体後葉まで運ばれて血液中に放出され、出産と授乳を調節します(Leeら 2009)。一方で、脳の中に向かって伸びる神経細胞からも放出され、脳と脊髄の多くの場所に、オキシトシンを受け取る受容体があります(MagonとKalra 2011)。この脳の中での働きが、やがて行動との関係として調べられていきます。

母の行動とつがいの絆を動物で調べる

1979年、PedersenとPrangeは、出産経験のない雌のラットの脳室、つまり脳の中の液体で満たされた空間に、オキシトシンを注入しました。2時間以内に、ほかの母親が産んだ子に対して、5つの基準をすべて満たす母親らしい行動を示したラットは42%でした。生理食塩水を注入したラットでは、1匹もいませんでした。子を世話したラットのほとんどは、エストロゲンが高いか、高くなったばかりの時期にありました。卵巣を取ってエストロゲンを与えた13匹では11匹が子を世話し、与えなかった14匹では1匹もいませんでした(PedersenとPrange 1979)。

ヒツジでも、似た結果が得られています。卵巣を取ってエストロゲンを与えた雌7頭の脳室にオキシトシンを注入すると、子羊のにおいをかぐ、なめる、近づいて後を追うといった行動が増えました。頭突きのような攻撃的な行動は減りました。静脈に注射した場合や、エストロゲンを与えていない場合には、はっきりした効果はありませんでした(Kendrickら 1987)。

1994年には、つがいの絆との関係が示されました。プレーリーハタネズミは、雄と雌がつがいをつくる小型のげっ歯類です。卵巣を取った雌の脳にオキシトシンを持続的に注入しながら、雄と6時間同居させました。その後のテストでは、見知らぬ雄よりも、同居した雄のそばを選ぶようになりました。皮下への注入では効果がなく、受容体の働きを妨げる薬を脳に入れると、オキシトシンの効果は抑えられました(Williamsら 1994)。

オキシトシンには、子を守る側の顔もあります。授乳中のラットのケージに見知らぬラットを入れると、母親は侵入者を攻撃します。不安の強い系統の母ラットは攻撃が多く、視床下部の室傍核でオキシトシンの放出が増え、扁桃体、つまり恐れや不安に関わる部位の中心核でも放出が多くなっていました。これらの部位で受容体の働きを妨げると、攻撃は減りました(Boschら 2005)。母が子を守るときの攻撃にオキシトシンが関わることは、少なくともラットの実験では示されています。

ここまでの研究は、どれも動物の脳に直接オキシトシンを入れたり、その働きを妨げたりする実験です。人で同じことはできません。そこで人の研究では、鼻から吸入させる方法と、血液や唾液の濃度を測る方法が使われるようになりました。

「信頼ホルモン」の誕生と見直し

2020年の私は、オキシトシンを鼻に吹きかけられた人は相手の言うことを信じ込み、どんな要求でも聞き入れてしまうと理解していました。作用が切れると我に返る、という話まで信じていました。そのもとになっていたのは、2005年に発表されたKosfeldらの実験です。

実際の実験は、信頼ゲームと呼ばれるお金のやりとりでした。投資家の役の参加者が、手持ちのお金のうちいくらを見知らぬ相手に預けるかを決めます。預けたお金は増えて相手に渡り、相手はその一部を返すか、すべて自分のものにするかを自由に決められます。男性の参加者を、オキシトシンを鼻から吸入する群と、偽薬(プラセボ)を吸入する群に分けると、オキシトシンの群で預ける金額が多くなりました。研究者らは、危険を冒しやすくなったのではなく、人を相手にしたときの危険を受け入れやすくなったのだと述べています(Kosfeldら 2005)。この実験が調べたのは預ける金額です。どんな要求でも聞き入れるかどうかや、作用が切れたあとの気持ちを調べたものではありません。

この実験は大きな反響を呼びました。オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、信頼を高めるとうたうオキシトシン入りの香水まで売られました(MagonとKalra 2011)。その後の10年ほどで、鼻から吸入したオキシトシンが人のさまざまな社会的な行動を変えたという報告が相次ぎます。Walumらは、そのすべてが本当なら、オキシトシンは「社会脳の万能薬」とでも呼べるものになると書いています(Walumら 2016)。

2015年、Naveらは信頼との関係を調べた研究を見直し、3つの問題を挙げました。鼻から吸入する実験は追試でうまく再現されていないこと、血液中の濃度の測り方に問題があること、受容体の遺伝子と信頼との関係が大規模な研究では一貫しないことです。人の信頼がオキシトシンと確かに結びついているという、まとまった証拠はないというのが結論でした(Naveら 2015)。血液や唾液のオキシトシンを測る市販の方法には、前処理をしない試料では信頼性が低く、オキシトシン以外の分子も拾ってしまうという批判もあります(McCulloughら 2013)。

2016年には、Walumらが統計の面から問題を示しました。健康な人を対象にした研究の効果量、つまり効果の大きさを標準偏差を単位に表した値は、平均0.28でした。参加者の人数は中央値で49人です。この条件での検出力、つまり本当に効果があるときにそれを統計的に検出できる確率は、平均16%にとどまります。80%の検出力を得るには、352人が必要です。Walumらは、発表された「効果あり」の結果の多くが、本当の効果ではない可能性が高いと結論しました(Walumら 2016)。

信頼ゲームそのものも、改めて確かめられました。2020年、Kosfeldらの共著者を含む研究チームは、事前に計画を登録したうえで、大規模な追試を行いました。検出力が95%を超える設計で、参加者は321人です(Declerckら 2020、Krollら 2026)。Kosfeldらと同じく相手と最低限の接触をする条件で、オキシトシンは預ける金額を増やしませんでした(Declerckら 2020)。2026年には別のチームによる211人の追試も発表され、2つの追試を合わせた532人でも、信頼を高める証拠は見られませんでした(Krollら 2026)。

動物の研究でも、見方を改める結果が出ています。2023年、遺伝子を書き換える技術で、オキシトシンの受容体をもたないプレーリーハタネズミがつくられました。このハタネズミも、見知らぬ異性より交尾の相手を好みました。受容体をもたない雌も子を産み、親は子を離乳まで育てました。ただし、受容体をもたない母親の子は離乳時の体重が軽く、乳の出が弱い可能性も示されています(Berendzenら 2023)。受容体がなくても絆や子育てが成り立つのなら、オキシトシンだけで絆が決まるわけではないと考えられます。

人での効果は弱く、一貫しないことが多いという指摘もあります。効果の出方は、置かれた状況や、その人の特徴によって変わるという整理です(Bartzら 2011)。「愛情ホルモン」という呼び名は、こうした条件をすべて省いた言い方だったことになります(図1)。

オキシトシンの研究の歩みを示した年表。1906年に下垂体後葉の抽出物が子宮を収縮させる作用が見つかり、1910年に乳汁を押し出す作用が報告され、1953年に9個のアミノ酸からなる構造が明らかにされて合成された。1979年にラット、1987年にヒツジで脳室への投与が母性行動を引き出し、1994年にはプレーリーハタネズミで同居した雄を好むようになった。2005年の信頼ゲームでは鼻から吸入した群で預ける額が増え、2010年には血液中の濃度が母親と父親で差がないと報告された。2016年に鼻から吸入する研究の検出力が平均16%と見積もられ、2020年の321人の追試では信頼への効果が見られず、2023年には受容体を欠くハタネズミもつがいをつくると報告された

図1 オキシトシンの研究の歩み(Dale 1906、MagonとKalra 2011、Leeら 2009、PedersenとPrange 1979、Kendrickら 1987、Williamsら 1994、Kosfeldら 2005、Gordonら 2010、Walumら 2016、Declerckら 2020、Berendzenら 2023をもとに作成)。灰色の丸は体の働き、緑の白抜きの丸は動物での行動、緑の丸は人での研究。背景に色をつけた3つは、それまでの見方を見直した研究

私が考えた「愛情の輪」

当時の私は、オキシトシンには味方への愛情を強め、味方でない相手には攻撃的にさせる作用があると考えました。母親にとっては、わが子と味方になる親族が「愛情の輪」の内側にいます。子に害を与えかねない相手は、その外にいます。オキシトシンがその輪をつくり、外にいる相手を退けるように働く、というのが私の理解でした。

人での手がかりもありました。De Dreuらは、男性の参加者にオキシトシンか偽薬を吸入してもらいました。参加者も実験者も、どちらを吸入したかを知らない二重盲検法です。そのうえで、自分と自分の集団、競争相手の集団の損得が決まるお金のゲームを、3つの実験で行いました。オキシトシンは自分の集団への信頼と協力を高め、相手の集団に対しては、身を守るための攻撃だけを増やしました。先に仕掛ける攻撃は増えませんでした(De Dreuら 2010)。ただし、これはお金のゲームでの男性の判断で、母親が見知らぬ人に向ける態度を調べたものではありません。鼻から吸入する研究に共通する弱点も、そのまま当てはまります。

子どもが生まれたばかりのころ、職場の先輩パパたちから、こんな言葉をもらいました。「産後に妻に嫌われたら、何十年たっても当時の子育てについて嫌味を言われるよ」。「どんなに頑張っても評価がプラスになることはない。マイナスにならないように頑張るだけさ」。オキシトシンのことを知った私は、これは妻と子の愛情の輪に入り損ねた父親たちの姿なのだと思いました。いわゆる産後クライシスです。

内閣府の広報誌の2012年10月号は、NHKの番組「あさイチ」が「産後クライシス」をテーマに取り上げたことを紹介しています。出産後、家事や育児を一緒にしようとしない夫への妻の愛情が急速に下がり、その時期の不仲が長く尾を引く、というテーマです(渥美 2012)。

数字もあります。ベネッセ次世代育成研究所は、第1子を妊娠中の夫婦を、子が2歳になるまで毎年調べました。2009年の速報では、追跡に同意した401組の夫婦について、妊娠期と子が0歳児期の回答を比べています。「配偶者といると本当に愛していると実感する」に「あてはまる」と答えた妻は、71.3%から41.6%に減りました。夫は73.6%から61.8%で、減り方は妻のほうが大きくなっていました(図2、ベネッセ次世代育成研究所 2009)。子が2歳になるまで調べた288組の報告では、妻の夫への愛情は、0歳児期のあともそのまま減り続ける傾向でした(ベネッセ次世代育成研究所 2011)。

配偶者といると本当に愛していると実感すると答えた妻と夫の割合を、妊娠期と子が0歳児期で比べたグラフ。妻は71.3%から41.6%に、夫は73.6%から61.8%に減り、妻の減り方のほうが大きい

図2 「私は、配偶者といると本当に愛していると実感する」に「あてはまる」と答えた妻と夫の割合(ベネッセ次世代育成研究所 2009をもとに作成)。第1子の妊娠期から追跡した401組の夫婦で、0歳児期は子が0歳の後半の時点

ただし、産後に夫婦関係の満足度が下がること自体は、日本に限りません。第1子の誕生の前後を追った37の研究などをまとめた分析では、妊娠期から産後11か月までに、男女とも満足度が小さく下がっていました。一方で、子どもをもたない新婚の夫婦を追った4つの研究では、同じくらいの期間で同じように満足度が下がっていました(Mitnickら 2009)。米国の218組を結婚から8年追った研究では、第1子の誕生の直後に関係が急に悪くなり、その変化は母親と父親で同じくらいでした。悪くなる程度は、本人や夫婦の特徴、妊娠そのものの特徴によって違っていました(Dossら 2009)。これらの研究からは、産後の夫婦の変化を1つのホルモンだけで説明するのは難しいと考えられます。

父親のオキシトシンは子どもとの関わりで変わる

先輩たちがみな、子育てに無関心だったわけではないと私は思います。中には仕事に打ち込んで家庭を顧みなかった人もいたかもしれませんが、子育てに協力的だった人もいたはずです。子に害を与えない父親でも輪の内側に入れないのなら、輪に入るために必要なのは、父親と子どもの関係とは別の何かではないか。オキシトシンについて調べるうちに、私はそう考えるようになりました。

子煩悩を自負する私の愛情も、オキシトシンで強められた母親の愛情は上回れない。当時の私は、そう考えていました。ところが、第1子を育てるイスラエルの80組の夫婦を調べた研究では、血液中のオキシトシンの濃度に、母親と父親で差がありませんでした。濃度は、産後7週ごろから子が6か月になるまでのあいだに、母親でも父親でも上がっていました(Gordonら 2010)。

関わり方との関係も調べられています。同じ研究では、母親のオキシトシンは、愛情を込めて触れる、高い声で語りかけるといった関わりの多さと相関していました。父親のオキシトシンは、子の体を動かして遊ぶ、物を見せるといった、刺激を与える関わりの多さと相関していました。相関係数は0.33と0.30で、強い関係ではありません(Gordonら 2010)。4〜6か月の子と15分間遊んでもらった別の研究では、刺激を与える関わりの多い父親でだけ、遊んだあとにオキシトシンが上がりました(Feldmanら 2010)。子の世話に直接かける時間が長い父親ほど、自分が子と関わる映像を見たときに、扁桃体と、他者の理解に関わる上側頭溝とのつながりが強いという報告もあります(Abrahamら 2014)。

これらはどれも、オキシトシンと関わり方が一緒に変わることを示した相関の研究です。どちらが原因かは、これだけではわかりません。Gordonらは市販の測定キットで血液中の濃度を測っており、測り方の問題も残ります(Gordonら 2010、McCulloughら 2013)。実験もあります。35人の父親に、オキシトシンと偽薬を日を変えて両方吸入してもらい、5か月の子との関わりを比べた研究です。オキシトシンを吸入した日には、父親の唾液のオキシトシンと、子との絆を支える関わりが増え、子の唾液のオキシトシンも上がりました(Weismanら 2012)。ただし、これも少人数の実験で、Walumらが指摘した検出力の問題を免れません。

母親の側も一様ではありません。京都大学などのチームは2020年、初産の母親51人を、15分間授乳する群と子を抱く群に分け、その前後で唾液のオキシトシンを測りました。オキシトシンの変わり方には大きな個人差があり、その差は授乳と抱っこの違いより大きいものでした(Matsunagaら 2020、京都大学 2020)。授乳のたびに、どの母親でも同じようにオキシトシンが増えるわけではありません。

オキシトシンの量で比べるかぎり、父親が母親にかなわないという根拠は見つかりませんでした。ただし、量が同じだから父親の愛情が母親と同じになる、とも言えません。これらの研究が測ったのはホルモンの量と行動で、愛情の強さを母親と父親で比べたものではないからです。

妻との結びつきを取り戻す

オキシトシンは恋愛にも関わり、見つめ合ったり肌が触れ合ったりしたときに出る、という説明をよく目にします。プレーリーハタネズミでは、つがいの絆にオキシトシンが関わる実験がありました。しかし人では、恋愛中や交際中の人でオキシトシンが高いことを確かに示した研究はないと、2009年の総説はまとめています(Leeら 2009)。その後、交際を始めて数か月の60組のカップルでは、交際相手のいない人より血液中の濃度が高かったと報告されました。ただし、交際と濃度のどちらが先かはわからず、測定には市販のキットが使われています(Schneidermanら 2012)。見つめ合いについては、日本の研究チームが人と犬で調べています。犬に見つめられた飼い主は尿中のオキシトシンが増え、飼い主の親しげな関わりを通じて、犬のオキシトシンも増えました(Nagasawaら 2015)。

夫婦やカップルの触れ合いについては、いくつかの研究があります。閉経前の女性59人では、パートナーとよくハグすると答えた人ほど、血液中のオキシトシンが高く、血圧が低い傾向がありました(Lightら 2005)。夫婦34組を2群に分けた研究では、4週間、互いに温かく触れ合う練習をした群で、行動を記録するだけの群より唾液のオキシトシンが上がりました(Holt-Lunstadら 2008)。男女のカップル47組にオキシトシンか偽薬を吸入してもらい、意見の対立する話題で話し合ってもらった実験もあります。オキシトシンの群では、否定的な言動に比べて肯定的な言動が多く、話し合いのあとのストレスホルモンが低くなりました(Ditzenら 2009)。どれも小規模で、測り方や検出力の問題は残ります。

夫婦のあいだのつながりを示す結果もあります。Gordonらの研究では、夫と妻のオキシトシンの濃度が互いに相関し、一方の産後早期の値が、もう一方の6か月の時点の値とも関係していました。著者らは、研究の方法上、この結びつきがどう生まれるのかはわからないとしています(Gordonら 2010)。ベネッセの追跡調査は、0歳児期にも夫への愛情を保っていた妻と、愛情が下がった妻を比べています。愛情を保っていた妻ほど、夫が「家族と一緒に過ごす時間を努力して作っている」「仕事、家事、育児をよくねぎらってくれる」と答えていました(ベネッセ次世代育成研究所 2009)。これも、どちらが原因かを決められない比較です。

オキシトシンについて調べていくうちに、私は1つの結論にたどり着きました。父親が妻と子の愛情の輪に加わるいちばんの方法は、妻との結びつきを取り戻すことだ、というものです。私たち夫婦は、子どもが生まれる前から強い絆で結ばれていたはずだと私は思いました。出産で薄れかけたその絆を、もう一度確かなものにしたいと考えたのです。この考えを直接確かめた研究は、私の知るかぎりありません。言えるのは、夫婦の触れ合いや夫の関わり方を調べた研究と矛盾しない、というところまでです。

そう考えてからは、子育てに加わるのは当然として、2つのことを意識して続けました。1つは、妻から助けを求められたら、すぐに応えることです。仕事が忙しい日でも、妻から連絡があれば上司に伝え、在宅勤務に切り替えて対応しました。もう1つは、機会を見て妻とのスキンシップをとることです。子どもを寝かしつけたあとは、できるだけその時間をつくりました。2020年の暮れの時点では、妻と子の愛情の輪の内側に入れているように、私には感じられていました。この先、輪の外に出される日が来るかもしれません。それでも、父親として妻にも子にも目を向けることを意識し続けたいと考えていました。

こう書くと、良い父親だったように見えるかもしれません。実際には、仕事が忙しくていらいらし、家族に心ない言葉を投げてしまうこともありました。家事は苦手で、おっくうになって手伝わないことも多くありました。そんな私でも、大切なことに気づいて意識して努力すれば、関係を良くすることができた。私の経験から言えるのは、そこまでです。

妻からの連絡で仕事を抜けるとき、応援してくれた先輩がいました。2人の子を育てる母親で、私の仕事を代わりに引き受けながら、こう言うのです。「お子さんのためというよりは、奥さんのために急いで帰ってあげてください」。子育てを経験してきた彼女は、家庭を愛情の輪で包むための答えを、当然のように知っていたのかもしれません。

まとめ

オキシトシンは、1906年に子宮を収縮させる作用から見つかり、1953年に構造が明らかにされて合成されました。動物では、脳に投与すると母親らしい行動やつがいの相手を好む行動が引き出され、母ラットの攻撃にも関わります。2005年の信頼ゲームの実験は大きな反響を呼び、オキシトシンは信頼を高めるホルモンとしても注目されました。しかし大規模な追試では信頼への効果は見られず、鼻から吸入する研究の多くは検出力が低いと指摘されています。父親の血液中のオキシトシンは母親と同じくらいの濃度で、子との関わり方とともに変わります。日本の調査では、産後に妻の夫への愛情が大きく下がっていました。父親が母と子の輪に加わる道は妻との結びつきを取り戻すことだ、というのは、研究で直接確かめられていない私の考えです。

オキシトシンは、子宮の筋が縮むという、目で見てわかる変化から見つかりました。脳の中での働きは、動物の脳に直接入れる実験によって見えるようになり、人では鼻から吸入する方法と、血液や唾液の測定で調べられてきました。人数の少ない実験と精度の低い測定が重なったことで、一時は実際以上の姿が描かれました。大規模な追試や、受容体をもたない動物の研究によって、その姿は等身大に近づいています。父親の体の中でもオキシトシンが動いていることは、母親と同じように測ってみて初めてわかったことです。

子宮の壁をつくる平滑筋が縮むしくみは、「平滑筋の収縮と弛緩:スイッチはミオシンの側にある」で紹介しています。偽薬と比べる実験の考え方は「臨床研究におけるランダム化の方法:なぜくじ引きで分けるのか」と「クロスオーバー試験:同じ人で比べる利点と落とし穴」にまとめています。相関係数の読み方は、「Pearsonの積率相関係数:rは何を測っているのか」で紹介しています。

ほかのコラムは「コラム一覧」で紹介しています。

さらに学びたい人へ:おすすめの本

  • 明和政子 著『ヒトの発達の謎を解く 胎児期から人類の未来まで』(筑摩書房、ちくま新書):胎児に心はあるのか、イヤイヤ期はなぜ起こるのかといった問いから、脳と心の発達を説明した本です。著者は、授乳とオキシトシンの研究にも加わった京都大学の研究者です。「他者の身体なくしてヒトは育たない」という章もあります(2019年刊行、240ページ)。

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